ドイツで設立された美術工芸学校「バウハウス」はなぜ20世紀の美術や建築への影響したのか?

 

 

20世紀のはじめに作られた「バウハウス」はドイツを代表する美術工芸の学校でした。
今でもその卒業生やポリシーは、各業界において少なからず影響を残すほどのインパクトが有りますが、その「バウハウス」は14年間しか存在しませんでした。
その理由はドイツの歴史と強く関係があります。

 

記事抜粋

20世紀初頭にドイツで設立された美術工芸学校バウハウスは、わずか14年という短い歴史のなかで500人の卒業生を輩出し、20世紀前半から現代に至るまで、建築・デザイン・造形教育に大きな影響を与えました。そんなバウハウスの校舎の様子をまとめたムービーをGreat Big Storyが公開しています。

 

 

バウハウスは、ドイツ帝国が崩壊してワイマール共和制が敷かれた1919年に、合理主義・機能主義に重きを置く工芸学校として、ヴァルター・グロピウスによってワイマールに建設されました。

ワイマールに建てられたバウハウスの校舎。設計は、工芸学校の設立を最初に訴えたアンリ・ヴァン・デ・ヴェルデによるもの。2018年現在はバウハウス大学の校舎に用いられています。

1923年にバウハウスがワイマールに建築した最初の実験住宅「ハウス・アム・ホルン」です。設計はバウハウスの教師を務めていた画家のゲオルク・ムッヘ。建物だけではなく、家具のデザインや製作に至るまですべてバウハウスが手がけています。

すっきりした直線で構成され、装飾も施されていないこの建物は、今ではごく当たり前に見られるようなデザインですが、100年前のドイツではあまり受け入れられなかったようです。

 

1925年、バウハウスはワイマールからデッサウに移転しました。

デッサウに建てられたバウハウスの校舎は、グロピロスが設計しました。

デッサウ校舎に装飾はなく、徹底的に機能美を追求したスタイルはまさにバウハウスの思想を色濃く反映したもの。20世紀を代表する近代建築物として知られています。

デッサウ校舎のすぐ近くには、バウハウスが製作した実験住宅がいくつも存在します。20世紀初頭にはまだ珍しかった鉄骨造や鉄筋コンクリート造の住宅で、当時のバウハウスの教職員が住んでいたため、「マイスターハウス」と呼ばれています。バウハウスでは、パウル・クレーワシリー・カンディンスキーなど、20世紀を代表する芸術家が教鞭をとっていました。

デッサウから少し離れたところにあるジードルンク(集合住宅)と呼ばれるエリア。人口集中によって都市から離れた場所に集合住宅を作る計画が当時立ち上がり、バウハウスもその一部を手がけています。

しかし、徐々に権力を持ち始めてきたナチス・ドイツと政治的に対立していたバウハウスはデッサウ校を閉鎖。1932年にベルリンへ移転し再開するも、1933年に閉校するまで追い込まれてしまいました。それでも、バウハウスの思想は閉校後も世界中に広がっていき、現代美術・現代建築・現代デザイン教育に大きな影響を与えていくこととなりました。

 

 

元記事:Gingazine
20世紀の美術や建築に大きな影響を与えた「バウハウス」とは?